ミリオンソード

わけのわからないこともたまに書くことにした。
私の、得意分野の記述が無い、とのお叱りを受けたので、
電車ネタを仕入れられないときはこのネタで。

さて、私がコッチの世界の住人になったのは、はっきりいって
アニメブーム
の火付け役と言っても過言ではない
宇宙戦艦ヤマト
を入り口として、そのテの人になってしまった。
この作品、昭和49年10月頃に「アルプスの少女ハイジ」の裏番組として、
毎週日曜日午後7時30分から放映された。
当時のアニメといえば、まさにターゲットは子ども。
緻密なSF考証。一番は、
ワープ航法
だと思うが、戦闘モノに人間模様やら、人間愛の概念をふんだんにとりいれ、
差別化を図ったすばらしい前衛的な作品であったが、
当時の大衆には受け入れられず、裏番組の
ヨーロヨーロエッヒッホ
という叫び声に、あっさり敗退してしまった。
ところが、
やられてもやられても性懲りも無く立ち上がる、ヤマトの根性はこの後に本領発揮する。
ヤマト、といえば松本零士の美しいタッチが思い浮かぶが、
原作は松本先生ではなく、
「あの大和を宇宙にトバしたい。」
と強く願った、西崎ディレクターが作戦参謀。
彼の根性はすごかった。
アニメ音楽をバクハツ的な人気を起こす起爆剤にしようとしたのは、
もしかすると彼が最初の人かもしれない。なんと、当時はシングルレコードであったB面の「真っ赤なスカーフ」という曲のラジオへのリクエストはがきを西崎自身が、延々と書き続けたというエピソードもあるらしい。
そしてなんやかんやで、ヤマトが再放送された。
そこで、爆発的なヒット!!
そのヒットは、私はひとつの社会現象と呼べると思う。
子どもの娯楽であったアニメへの関心層を大幅に変えた。
新しい若者の関心ごと、「趣味」の世界を作り上げた。
そのヒット現象は、当時の映画興行にも影響を与えた。
当時のアニメ映画は
「ながぐつをはいたネコ」
グレートマジンガーデビルマン
など、明らかに
お子様対象
という状況であったが、宇宙戦艦ヤマトは、あの沖田艦長の名せりフ
「地球か・・・何もかもみな懐かしい・・・」
という言葉に、10代後半から20代の若者を純粋に感動させる文学作品として、
受け入れられたのだ。
また、ヤマトを支えたもう一つの要素。それは、
BGM
である。女性の高音であーあーいうやつは、大半の人が知っている。
ヤマトネタの一発芸はコレに限るのだが、
夜中で相手の理性が崩れている時以外はドン引きされるほど使い古されているので、もうやめておいたほうが身のためだ。
しかし・・・当時はピンクレディーやらキャンディーズやらの音楽があふれていたなかで、
まじめに、アニメの音楽として質が高かった!!
BGMにもいくつかの種類が出た。単なるBGMやら、挿入歌集やら、交響曲やら。
また、もっともヤマト人気を支えた要素は、
SF考証
これに尽きる。
ワープ航法
とか、
波動エンジン
などの設定だ。この細やかな設定のあり方は、現在の平成にまで継続している。
ヤマトの運転、これらの操作にかけた、劇中のセリフの数々。
「エネルギー充填120パーセント」
「ターゲットスコープオープン」
「対ショック、対閃光防御」
ほかにもいくつかあったと思うが、当時はめっちゃ覚えたって。
ほか、「ワープ」については、現実にあった航行理念をそのままアニメに使用していたもんね。ワープはヤマトに限らず、この後に、ほかのSF作品にふんだんに使われるようになったくらい、ヤマトで有名になった用語だよね。ワープ以外に、私が知っている限りでは
フォールド航法
とか
デスドライブ
など、時空を曲げて行う宇宙航海手段がいろいろな作品で、出てまいります。
SF
って、
「サイエンスフィクション」
の略であったり
「スペースファンタジー
の略であったりしますが、宇宙戦艦ヤマトは、両方を押さえているデキのよい作品と言えるでしょう。
また、復活篇がでてくるかもしれないそうですが、
個人的には・・・想い出のレヴェルにしておきたい。

一作品だけで、ものすごく長い文を書きましたが、
ヤマト・・・ネタ
もう少し続けたい。
ミリオンソード〓 終了っ