夢中(後編)

さて、自分のまわりの世界を改めて見回してみると、
世の中ひとりでいきているのではない、ということに気付かされる。
まず、飛び込んできた情報は、電車内での話し声だ。
決して立ち聞きしよう、としているわけではない。
別に、他人がどう生きていようが、究極のところ自分には大して影響のないことだからだ。
極端な話、仮に、他人が悲痛の思いで苦しんでいることがわかっても、おそらく
「なるほど」
という理解にしかならないだろう。やはり他人だからだ。
「気の毒に」
と思うかもしれないが、そのつらい気持ちというのは、他人である、から、同じようには感じられないだろう。
ただし、隣人、となると。ずいぶんこういった方程式はかわってくる。
そこまで、自分のことを考えてくれていたのか、
そんな気持ちになることもあるだろう。
だから、人はひとりではない、と言えるのだろう。
自分と、ほぼ、同じように思いを共有してくれる人間がいるから、
おそらく、慰められ、勇気を奮い立たせて生きているのだと思う。




さて、電車のなかで、




高尚なことをかんがえてはみたものの、





どうしても、






私の隣にたった、やや年配めの女性2人












五月蝿い!




それも、





非常に五月蝿い!!






天王寺を出発してから、堺市まで、休む間もなく話している。








三国が丘駅にきても、




まだ、




話している。











「え?ここ?三国?なあ、三国?なあ、なあ?ここ三国やんな? うっそー!三国やんな?
 ほな、私おりるわ!ほなな!おりるわな!ほなな!!」

「ふん。気をつけてな」

「ほなな!さいなら!!」








他の乗客も、この女性らの様をみて薄笑い、










おそらく、皆、ひとつの思いを抱いたと思う。





さすが、人類、皆、兄弟だ。と、思う。







きっと、こう感じたと思う。
















だ・ま・っ・て



お・り・ろ!!




話に夢中になりすぎやっ!

ちゅーねん。